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僕が初めて放浪芸に出会ったのは、高校の時でした。小沢昭一の「日本の放浪芸」というビデオを授業で観て、市川福治の「あほだら経」、北園忠治の「のぞきからくり」「ばバナの叩き売り」にとても感動しました。あまりの感動に、あほだら経の文句を覚えて授業で実演してみたり、屋台もないのにのぞきからくりの節を稽古したりしたものです。
さらに大学になると、放浪芸の好きっぷりが過熱して、夏休みには毎日ワッハ上方(上方演芸資料館)のライブラリーに通ったり、大学の図書館に放浪芸関係の書籍をリクエストしまくって呼び出されたりしたのも良い思い出です(笑)今も米朝落語全集は読み継がれているかな…(僕は福祉学科でした)。
ところでこの「放浪芸」って何なのか?って事ですが、そもそも「放浪芸」という言葉自体は昔からある言葉ではなく、小沢昭一の造語で、明確な定義が存在するわけではありません。字面の通りに考えるならば「放浪する芸能」なわけですが、僕のイメージとして「放浪芸」は、萬歳や大黒舞、春駒、瞽女、琵琶法師、祭文、阿呆陀羅経、猿まわし、見世物や演歌師など様々な漂白の芸能を指しており、今日のジャグリングやマジックなどはプロダクションに所属して仕事をもらっているという面から考えても「放浪芸」と言うよりも「大道芸」と表現した方が的確な気がします。

そこでまず今回は、この「放浪」について考えてみたいと思います。そもそも前述のような芸能者は、なぜ放浪する必要があったのか。芸能の始まりは天岩戸の前で天鈿女命が踊った猥雑な踊りであると言われていますが、放浪芸の起源とも言える芸能者が史実に登場するのは、農業の伝来からさらに下り、万葉集まで待たねばなりません。当時はまだ農業技術も未発達で、農作物の収穫は天候や土地に大きく左右されました。そこで登場するのは、呪術的な儀式で、雨乞いなどもその1つです。他にも「予祝」という考え方があり、これは未来で起こる良い結果を予めお祝いしておこう(それによって実際によい結果が起こることを祈念する)という物です。つまり、秋の豊作を予め春に祝っておくのです。どのようにして祝うかと言うと、田起こしから刈り取り、豊作であったという様を、歌や踊りセリフで演じるのです。しかしそのような内容であれば、「ムラ」の中で完結するはずです。そこになぜ放浪の芸能者が登場するのか。
農業が伝来したと言っても、全ての人が農民になったわけではありません。魚群を求めて諸国を歩く民もいれば、農耕が生んだムラ社会からはみ出した者もいたわけです。そういった放浪の民が、食料を得るために祝言を各戸に唱えて歩き、いかにも自分は神の遣いであるという風を装って糧を得る。これが放浪芸の起源と言えるかも知れません。そしてこういった人々を、万葉集では「乞食人(ホカイビト)」と表現しています。
万葉集の「乞食者詠二首」という歌では「乞食」の字があてられていますが、これは物乞いという意味の他に、「祝(ホ)く」の名詞形「ホカヒ」から来ていると考えられます。我々も狂言の最後には「附祝言」を行いますが、このように歴史的に見ても、芸能と予祝・祝福とは非常に密接な関係があるのですね。

という事で、この辺りの話をこのまま続けると、河原乞食や唱門師の話へとどんどん派生していくのですが、余りに取り止めがないので今回はこの辺でお開きにさせていただきます。次回はまた、別の切り口から放浪芸についてお話ししたいと思います。
敬称略